第一弾「新・文明の旅」現地リポート
学生報告⑦
今日私たちは、山奥にあるリラ僧院に見学に行きました。
「リラ」という世界的に有名な僧院は、同名の村から20キロぐらい離れたところにあります。この僧院は多くの雪に覆われた山中にそびえたっています。かなりの山奥にあるため、ブルガリアに行くことができたとしても、実際には行くことはできないと思っていました。ただ配布された予定表に「リラ僧院研修」と書いてあり、「旅」に行く前からなるべく早く行きたいと思っていました。そのような場所に訪れることができた私たちは、とても幸せだと思います。
私はカトリック教徒で、カトリックの教育には幼いころから触れてきました。またこの19年間、私は多くの教会を訪問して来ました。この僧院を訪れるまでは、フランスのパリにあるノートルダム寺院が、私のなかで心が和らぐ場所となっていました。しかし今日リラ僧院に行ってみて、これまで絶対行くことができないと思っていた場所に実際に行くことができ、世界史の資料集などでしか見ることのできないものを、この目で見ることができました。私たちカトリック教徒にとっては、「修道院」はとても大切なものなのです。
この修道院は現在においても、ブルガリアにおける精神的な中心となっています。しかしブルガリアがビザンツ帝国に戦略されたとき、リラ僧院が壊されることになり、1566年に再度修復されたものであるにもかかわらず、今でも聖なる場所として形をとどめています。私たちはこの「旅」で、はじめに訪問したトルコにおいて、有名なイスラム教のモスクを多く見てきました。私自身はイスラム教の知識については、教科書で学んできた内容と、このプロジェクトの事準学習で学んだことしか知りません。しかしながら足を運んでみて、実際の雰囲気を味わい、少し前に思っていた気持ちより異なるものを感じることができました。派遣メンバーも、たとえキリスト教徒やイスラム教徒でなくても、このような場所に足を踏み入れることで、何か感じてもらえることがあれば良いと思っています。
カトリックでは、イエス・キリストをはじめとする「神」が、私たちのことを見てくれていると考えます。キリスト教には、神の顔もしっかりと書かれてあります。目、鼻、口、耳が描かれているだけでも、キリストに見られている、と感じるのです。派遣メンバーの多くが反応していたのは、「罪を犯した者は地獄に落ちる」ことを表した画です。よくよく考えてみると、ふだん私たちが行っている行為というものは、カトリック教の画では「罪」として捉えることもあります。キリスト教のシンボルであるキリストの「血」は、赤ワインを意味しています。したがってお酒を水で薄めた人も、罪があるとみなされてしまいます。このように、日常生活で私たちの身の周りで起こっていることとは、1つ違う世界に入ることができるのです。
派遣メンバーのみなさんには、この聖なる場所で、新たな気持ちが生まれたのではないかと私は思っています。今後も引き続き、この素晴らしい僧院があるブルガリアに5日間お世話になります。また新たな出会いがあること願いつつ、この機会を大切にしていきたいと考えています。
(報告者:外国語学部英語コミュニケーション学科1年 橘田 C.美優)