GCI語学・異文化理解留学プログラム(マレーシアコース)報告 番外編
バンコクの爆発事案に関して
8月17日夜にバンコク市内(タイ)で発生した爆発事案に関して、マレーシアコースの学生にも、8月18日午前の授業開始前に爆発事件について説明し、クアラルンプールの中心街をはじめ、多くの人が集まる場所には行かないようにとの指導を行っております。マレーシアコースが行われているシャーアラム地区はクアラルンプールから離れており、コースの続行に支障はありません。学生の皆さんはいたって元気であり、現地のスタッフ含め、状況を注視しながら、プログラムを継続いたします。
【番外編】
留学プログラム内容の改善要請は、本来文京学院大学側からUiTMに対して行うものであり、実際にそうしてきました。一方、2校間の親交により、本プログラムの改善点をUiTM側から行ってくれる場合も多々あります。これはコストを削減したいとか、悪い意味での効率化のためではなく、あくまで質の向上の視点で提案されます。
改善、修正は、プログラム進行中も常に行われています。小さな部分では、たとえば、8月19日はクラス・パーティーが行われる予定で、英語教員の前で学生の皆さんがプレゼンを行うことが予定されていました。しかし、現在も英語の授業が半ばであることや、プレゼンの準備の進行状態に鑑みて、パーティーの時期をずらしました。またケータリングサービスの予定を新たに加えるなど、学生の皆さんをできるだけ飽きさせず、楽しみながら学習できる環境を考えてくれています。
そして来年度からのプログラム改善案として、UiTM側から、UiTMのマラッカ本部校での1週間滞在が提案されました。マラッカは観光地でも有名ですが、UiTMはマラッカに3つのキャンパスを持っています。その本部校で最初の1週間を、現地学生と大学内の学生寮(ホステル)で過ごし、アクティビティーを通して英語に慣れていく、というものです。週末は現地教員の家にホームステイすることも想定に入っているそうです。
これがマラッカ本部校のエントランス付近の校舎です。
エントランス付近のカフェテリア(食堂)の外観。昼食時には多くの学生とスタッフで賑わいます。こうしたカフェテリアがキャンパスのいたるところにあるのが特徴です。
カフェテリアを別の角度から。
これは図書館です。すべての建物は、学生宿舎以外は冷房がしっかりと効いています。
コンピューターLAB。
これが新設された学生宿舎(ホステル)の1つです。男女で建物は別になっています。
宿舎に隣接して、ほぼ必ずカフェテリアがあります。中心はマレーシア料理ですが、基本的には多様なメニューが用意されています。
カフェテリアに備え付けられた各種設備は、とてもきれいでした。
次に視察したのが、学生宿舎(ホステル)。写真は共有スペースです。この部屋に4つの2人部屋が接続しています。ここに4人の文京学院生、4人の現地学生が入り、相互に英語でコミュニケーションしながら最初の1週間、マレーシア生活に慣れていく、という想定です。
部屋にはベッド、机、クローゼットが備え付けられています。
共有スペースにはシンクがあります。
すでに部屋に入っている学生に協力してもらいました。とても親切で真面目な学生でした。部屋もきれいに使っていました。「ポーズをとって。」とお願いしたら、勉強しているポーズをとってくれました。こんな学生ばかりなので、文京学院大学の学生の皆さんが8人のスペースをシェアするのに問題はないと思われます。また現地学生のサポートがあると、買い物に連れて行ってくれたり、現地を案内してくれたりと、最初の一週間が非常に過ごしやすくなるでしょう。
学生宿舎の1階部分には、自動販売機、水の量り売りの販売機もあります。また、エントランス部分に防犯カメラが設置されており、セキュリティーも問題なしです。もちろんキャンパスに入るには、ガードのいるゲートをくぐる必要もありますので、セキュリティは二重です。
そして学生宿舎の各階にはWiFiの設備があります。
右から、部屋を見せてくれた学生2名。学生宿舎管理スタッフ3名。左から現地学生スタッフ。現地教員のスーマルニ先生。そして左から3人目が今回の提案をいただいたUiTM本部校(シャーアラム)のノーライラ先生です。貴重な時間をありがとうございました。
文京学院大学では、留学プログラムの質の向上に常に留意し、現地のスタッフとの交流を通じて毎年不断の改善を行っています。こうした交流・改善の蓄積により、各プログラムの内容は、にわかには見えない創意や工夫、配慮に満ちています。本学GCIプログラムの本来の「質」はななかなか伝わりにくく、他大学や民間業者の提供する留学と同列に扱われがちですが、実際に参加するとその内容の質の高さや濃さが分かります。やはりどの国でも、人と人のつながりが最も重要であり、それにより、本プログラムが真に充実したプログラムとして維持され得るのであろうと思います。同体験はまた、文化の差異を論うのではなく、文化差を理解する過程で互いの共通性を見いだしていくというグローバル教育の本質にも繋がっています。