2019年 学長 工藤秀機 新春のご挨拶
「大学の教育改革に思うこと」
学長 工藤秀機
2019年の新春を迎え、皆様には益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
今年は学園創立95周年ということで一つの節目の年に当たります。
本学は、1924年(大正13年)に創設者 島田依史子先生が「女性の自立」を願って「島田裁縫伝習所」を開設したのに始まりますが、その後「自立と共生」の理念のもと幾多の経緯を経て現在の4学部10学科4研究科をもつ総合大学に成長してきました。今後もこれまでの大学の成長を持続させながら創立100周年に向けて益々発展してゆくことを祈念いたします。
ところで昔の大学教育は大学の自治のもと独自教育を展開することが本来の姿とされ、この点において初等・中等教育と一線を画すものでした。かつてはこういった自由な教育環境の下で大学から多くのすぐれた人材が生まれたのです。しかしながら時代とともに設置される大学数が増加するにつれ大学全入時代を迎えるようになり、多様な学生が入学してくるなか、従来のままの教育システムでは確かな学士力を身に付けた質の高い人材を世に送り出すという機能が十分に果たせなくなってしまったことから、国はこれを大学教育制度の劣化現象と位置づけ教育改革の必要性を打ち出してきたのは周知のことと思います。
実際いま時代の要請をうけて新たな教育制度に切り替えてゆくための改革が始まっています。近年のグローバル化の潮流、ステークホルダーや産業界からの要請が大学教育の質の転換を促すようになってきたことと社会や国からの要請もあり、年々、大学教育改革に関する課題も増えてきました。このことで学生が自主的に学び勉強するようになってきたのは確かです。一方、教育する側にとっては今までの独自の教育方法から、国の推奨するやり方へと方向転換せざるを得なくなってきました。「私学は教育理念の基、独自色を打ち出して教育に当たるべし」との方針が出されてはいるものの、一連の教育改革の流れの中で感じるのは、高等教育の画一化です。大学独自のカラーが薄れ、どこも似たような学生教育に変質してしまっているように思います。国は大学運営、研究に必要な補助金の多寡を調整することで、各大学を画一的な教育改革に向かわせる方針をとっています。教育改革がしっかりなされているかは外部の第三者評価機構によってチェックされます。今後、高等教育が世界標準に合っているかという点も要求されることになるでしょう。大学側も必死に改革についてゆかざるを得ません。大学の格付け(ランキング)、18歳人口の減少、大学過剰論のなかで各大学が存続を賭け、いかにして改革を果たしてゆくかが問われています。
しかしながら、このような教育改革により自由度の大きかった昔の大学教育を自由度の乏しい型通りの教育へ移行させた事や学長に権限を集中させるシステムへ移行させた事に対する改革への懸念がないわけではありません。
約550年も続いた中国の春秋戦国時代を終わらせ、始めて天下統一を果たした秦の始皇帝は、法家の思想理念のもと厳格な法律による政治を行なったものの僅か15年で秦王朝を崩壊させてしまいました。厳格な法による画一的統治が人民の不評を買い、内部の役人の反乱に端を発して秦は結局滅亡したのです。自由度が乏しい画一的システムは外部に対して強靭に見えるかもしれませんが、いったん内部から反発が起きればそのシステムの崩壊は早まるのです。
確かにどのような場合でも改革に伴う懸念は常に内在しているわけですが、教育制度についてみるなら時代に合わない教育をそのままにしていれば却ってシステムは硬直化し劣化するのは必然で、新しい秩序を確立するための制度作りをしなければならないのです。様々な意見はあるかもしれませんが、今の教育改革にはそのような意図があるのです。その制度作りが教学マネジメントという方針の中に要約されているということになります。しかし教学マネジメントがすべての私学にとって過剰な外圧となるようであれば、秦王朝が崩壊したようにこの制度は崩壊するでしょう。教育の現状を時代に照らして考えれば教学マネジメントの必要性はあるのです。ただそれが外圧にならないためには、学内の体制に自由度を持たせる必要が出てくるのです。それゆえ自由度の少ない一極集中型の大学運営ではなく、より自由度のある自立分散型システムを採用すべきだろうと私は思います。今後、文科省がこの教学マネジメント指針をどこまで私学に徹底させてくるかがこれからの大学の存続を占うカギとなるでしょう。
しかし、本学は今後も変化を恐れることなく挑戦を続け、成長してゆく所存です。
本年も実り多き年となられますようお祈り申し上げます。