経営学部

新著刊行につきまして大学の方々、御支援頂いた方々への御礼、そして事情説明

2016.11.20
今期、二冊の本を敢行させて頂いた。
“頂いた”というのはまさに刊行は周囲の皆さんの御蔭であり、
自身の能動的な努力の結果の刊行ではなかった、と言う意味での“頂いた”である。
 
一冊目は4月刊行の『コンテンツ製造論』。
いま一冊はこの11月に上梓した『白組読本』である。
 
両冊とも、インタビュイーの証言をベースに執筆してあるので、
実は自分の脳髄からすべてを出力したと言うよりは、
語り難い箇所を私が誘導する事で話して頂き、
インタビュイー方々のメソッドをまとめ直した、という内容に他ならない。
 
『コンテンツ製造論』はそれでも自身の理論を骨格とし、
各界の方々の話す経験談とロジックを傍証とさせて頂き、
理論をまとめあげたものとなっているのだが、
『白組読本』の方はまさにインタビュイーの方々が主役となっている。
私自身はその証言に対する“裏書きをする”という先著とは逆説的な構造となった。
 
ということで『白組読本』ではほとんどの作業が、
インタビュイーの収録データの文字起こしに終始したのだが、
私の作業と言えば、前述の“裏書き部分”だけであった。
しかしながら今期は夏に共同研究としての地方自治体の巨編映画の撮影、
そして秋は急遽、放置していた概論の紀要を提出しなければならなくなり、
また新規の映像プロジェクトをいくつも提案されるという、
入職以来、もっとも多忙煩雑な状態に陥ってしまっていた。
執筆の時間など無いかと思われた。
 
ここで突然、予想もしないことが起こった。
 
両親の認知症が判明したのだ。
 
昨年からどうにも様子がおかしかったのだが、
母が糖尿病治療のインシュリン注射の射ち忘れで昏倒、
救急車で運ばれてアルツハイマーが判明した。
介護する父にも同様の症状が現れた。
兄弟と交替で中国地方へと何度も帰省し、
ケアマネージャーや主治医と面談を重ね、
介護の手配や計画を策定せねばならなくなった。
日帰りの弾丸帰省とは言え、この行き帰りで図らずも時間が取れる事となった。
 
研究室を空けてしまい、校務、学務そのものに不安もあったのだが、
新幹線はもとより、最近は飛行機でもWiFi環境がある事で随分と助けられた。
しかし通信の出来ない環境も多く、そんな時は、
移動の1日で10時間近くは執筆に集中できた。これが奏功し、
自著の執筆と紀要を作成することができたのだ。
 
これはよく考えると親の御蔭である。
 
二十歳時分、志を抱いて故郷を後にした時、
こんな風に親が痛んでいくとは、まったく心の片隅にも思うことなどなかった。
「上京して東京で就職する自分」を疑わず、
故郷の父母がいつまでも別れた時の姿のままでいるような、
そんな浅はかな錯覚をしていたのだと思う。
実に浅はかだったと思う。
 
もうひとつ、これを機に書いておこうと思うことがある。
特に隠している事でもないので、きちんと書いておきたい。
 
私自身の入職の直後、かなりクリティカルな病気が判明した。
数年前から調子が悪く、長く原因が判然としなかったのだが、
その病根と治療がはっきりしたのだ。
その結果、週のうちかなりの時間を治療に専念しなければならない必要が出てしまった。
 
黙っている訳にもいかず、煩悶したが大学へ報告した。
しかし大学の経営の方々、同僚の方々の皆さんが温かく支援をすることを表明して下さった。
実に有り難かった。
特に固定の組織が長い訳でもなく、終身FAのような世界にいた私にとって、
そして家族にとって、涙が出るほど嬉しかったことを覚えている。
 
最初の数年は治療をしながら業務をこなすのが精いっぱいだったように思う。
だがたくさんの教職員の方々に支えて頂いた。
これも“人を育てる”という大学の思想故の温かさだったと思う。
御蔭で一番重たい治療の時期は過ぎ、
現在はようやく経過観察のタームに入る事が出来た。
 
元来、教育機関には門外漢であった私が、
それまでのコンテンツ製作のソリューションを以て、
教員に任じられるという二度目の人生に出逢えたのは、
すべて大学の御蔭でもある。実に深く幸甚に思う。
同時に病を得て現場を上がらざるを得なくなった自分できる事は何か?
と自問した時に、
「もう十分に映画は撮り切った。
 これを機に、長年積んだ功夫で後進育成に砕身しよう。
 それが私の星回りだ」
そう考え至る事が出来たのも大学と病の御蔭だったと思う。
日々、バトンを渡し続ける自身の姿を想像できたのだと思う。
 
そして今回の父母の罹病を機会に親の存在と向き合った。
 
改めてすべて周囲の御蔭だと気づかされた。
 
研究者でもない、オペレーターだった私が本を出版できたという僥倖。
毎日、研究室に“何か”を求めてやってくる学生諸君の情熱。
研究者として教育者としての自分に禄を食ませてくれる大学の心馳。
そして未だに私を育ててくれている父母という存在。
 
すべて皆さんの御蔭である。
 
天佑に深く感謝し、また明日から後進育成に励みたい。
 
皆様、ありがとうございます。